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ベーチェット病になったらこう生きる

不全型ベーチェット病を発症したシンガーです。病気で活動を制限される中、どう生きていくか模索&日々の症状を記録します。時々どうでもいいことも書きます。

セラピストだからと言って人間性が優れているとはかぎらない

知的障害・発達障害のある人への合理的配慮

知的障害・発達障害のある人への合理的配慮


こんにちは ますみです。

お盆が過ぎてここ数日 なんとなく秋風の匂いがして

少しだけ涼しくなったなぁ


なんて思っていましたが。


勘違いだったかも


今日は猛暑ですね。


しかも 朝から能登沖で小さいですが地震がありびっくり!



も一つおまけにびっくり!



今日北陸中日新聞に私の記事が載りました。

取材されてからかなり時間が経っていたので

載ること自体すっかり忘れていて不意打ちです(笑)



でもとても素敵な記事を書いていただき

中日新聞輪島市所 山本さんには感謝しています。



体調は

今日は猛暑につき

喉の渇きで目が覚めましたが

打って変わって 体調は良いです。


最近ずっと曇り空だったので 洗えなかったシーツを洗って干して

全部屋窓全開で 家じゅう(使ってる部屋だけ)掃除してやろうと思います。


でも やりすぎると後でへばるので ほどほどに…



気になる記事を発見‼

そうそう


そんな掃除と洗濯真っただ中で

脱線してハテブロを見てたらこんな記事があり

忘れないうちに自分もブログを書きたくなってしまったんですが

kutabirehateko.hateblo.jp


すごくわかる‼

と共感してしまいまして

自分の考えもまとめておきたいな と思った次第です。



差別とは

自分も「不全型ベーチェット病」という病気になり

不自由な思いや弱者的な待遇に合ってきて

あと、人の優しさにも触れてきましたが


決して 同情してほしいわけでも

助けてほしいわけでもないのです



まあ しいて言えば

みんなが普通にできることを「できない」ということを

わかってほしい かな。



優しい言葉かけはしてくれるけど

実際は 何も理解してくれず

言葉だけ 態度だけ 優しい人が数知れずいました。


実際は何も尊重されないわけです。

ただ 気を使う場所が増えただけ。


以前の職場なんかがそう。



だったら 普通の対応でいいです。


できないときは「できない」と言います。


一番困るのは


「これだけ優しくしてやったのに」


とかいう押しつけです。


これは 尊重でも やさしさでもない。


押しつけ という勘違い。


行き過ぎると 差別、区別につながります。



まあ 私の事はこれくらいにして、


障がい者・弱者への差別は思った以上に深刻


以前 音楽セラピーのデモンストレーションをしにある障害者施設(重度障がい者の施設)へ伺った時の事。

そこでは もともと音楽の時間を設けてはいましたが

それは 音楽セラピーとはもちろん程遠いもので

レクレーションとも呼ぶことができない

単なる「時間つぶし」でしかありませんでした。


もちろん それが悪いわけではありません。

ただ、音楽セラピーを取り入れるには

あまりにも 環境整備がなされていなかったため

残念ですが このときはセラピーを継続することをあきらめました。


また 機会があることを願って


ただ、一つ引っかかることがありました。


セラピーを実施するにあたって対象者(成人の方々)の「障害」「年齢」「病歴」「生活歴」などを口頭で良いので情報が欲しいと

その施設のスタッフさんや音楽の時間を担当する関係者にお願いしたところ(もちろん個人情報に配慮して)

「知ってどうするの? 皆さん体は大人だけど頭の中は幼児なんです。必要ありますか?」と言われました。

聞けば

スタッフも音楽の担当者も

利用者の年齢を知らない。人によっては本名を覚えていない。(フルネームで理解している人もいれば、あだ名しか知らない人も)
また何の障害があるのかを知らずに毎日関わっていたのです。


びっくりでした。

スタッフも音楽の担当者も

目の前の障害者に 適した対応 をしていると本気で思っているようでした。

彼らを尊重している と思っているのです。


でも その人の本名や年齢、その人がこの施設に来るまでの経緯、歴史には一切興味がないのです。



私は愕然としました。



私たちが目の前の人に興味を持ち仲良くなりたいと思ったとき

まず 名前を聞き、年齢を聞き、出身地を聞き、その人の趣味嗜好を聞きます。


私においては重度の障がい者の方にも 同じように

目の前の人(障がい者)の方の事を知りたい と思ったので
(セラピーをするのですからその人を知るのは当たり前のことです)

自分の事を語れない障がい者の方に代わって スタッフさんや音楽の担当者さんに聞いたわけです。(しかもその人の情報のほんの一部をです)


もちろん 昨日今日初めて会った私よりも付き合いが長く 遥かに詳しいはずなので


それなのに 本当の年齢も 名前も 出身地も 知らないなんて。


それでどうやって お世話を コミュニケーションを取るのだろう?




スタッフさんや 音楽の担当者は

まるでなんでも知っているかのように彼らの特徴を私に話します。

でも 彼らの歴史は何も知らない


知る必要がない と思っているのです。


普通の人として 扱っていないのです。


それを 差別 と言わず 何を差別というのか。


同じ人間として見ていないのです。


そしてそれは 無意識です。



同じようなことは ちょっと変わった病気の人に対しても度々起こります。

まあ そこは愚痴になるので 書くのはやめときますが、

セラピストと言えども人間

何が言いたいかというと(よくわからなくなってきましたが)


巷にはセラピストが溢れています。


しかも 私が住んでいる能登地方は自然あふれる地域のためか セラピストの宝庫です。


そして私も「音楽セラピスト」を目指しています。


しかし「セラピスト」だからと言って人間性が優れているとは限らないのです。


○○セラピーが人を癒すことに効果があると信じそれを対象者に施術するわけですけど


そのセラピストが無意識に人を差別、区別していることだってある


セラピーを受ける前に その人の人間性がいかなるものか


私達自身が見極める目を持つ必要があります。


セラピストももちろん


自分の人間性を高めることや、偏った見方をしていないか


など 客観的に自分自身を見つめることが必要だと思います。


なんでも受け入れる必要はない


も一つ言えば

私は介護の仕事に長年携わってきて 介護福祉士の資格ももっています。

自分は介護の分野ではプロだと思っています。


しかし すべてのお年寄りを「好き」にはなれません。


性格的に合わない人もいれば

介護度が高くても、難病をかかえていても

性格が悪いお年寄りは当たり前にいて

その人を好きになれるとは限らないからです。


そういうお年寄りを サポートはしても(プロですから)

「好きになろう」とはしません。


それは私の自由です。

「その人が好きじゃないから」と言って

その人を「尊重していない」わけではないのです。


好きじゃない人だって「尊重」します。


多くの人はその「尊重」の意味をわかってないのだと思います。


やさしくする=尊重する ではないのです。



先の重度の障がい者施設のスタッフや関係者は

障がい者たちにやさしく しているのかもしれませんが

尊重はしていなかったのです。


それは本当に


知識不足と認識不足


自分の人間性を誤解している。


そのような 差別的意識が 自分にはないものと思っている。


障がい者へやさしくしていることで優位に立っている自分の意識


気が付いていないのです。



実は自分が 差別、区別していた。

なんて


信じたくはないでしょう。

なぜなら善意を持って携わっている筈だから。



ちなみに 私自身も 差別、区別する側にいることは多々あります。

人間どうしても完璧にはなれません。

でもそういう部分が自分にもある。

と思って世間を見渡したらいいんじゃないかと思うのです。





これはすべて私の主観。


私の個人的意見です。




今日はなんだか 重い話でした


ではまた くだらない主観に付き合ってくだされ~(^O^)/



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